ご支援してくださった皆様、お久しぶりです。
12月17~21日開催の【アジア甲子園大会2024 inインドネシア】に向けて、11月22日にうぶごえでクラウドファンディングを開始した一般社団法人NB.ACADEMY代表の柴田章吾さんと、あの夏を取り戻せ代表の大武が対談しました。
どちらのプロジェクトも野球をテーマにやっている共通点もあり、充実した対談になりました。さらに、アジア甲子園の展望についてもお聞きしました。
・あの夏を取り戻せ、アジア甲子園を始めたきっかけは?
大武: 高校野球が終わってから野球を見ることもできない二年間を過ごしました。そんな時に高校時代の仲間とご飯に行ったときに決意しました。コロナによって人生が変わったので、むしろ「コロナがあってよかった」と言えたらいいなと思い始めました。
柴田: 日本野球のすばらしさを広めたいという想いが原点でした。2016年頃から東南アジアで野球を教える活動をしていましたが、個人では大きな変化を起こせないと感じていました。ある日、ドラマ『ドラゴン桜』を観て、誰もが目指したいゴールがあるからこそ、そこに向けて努力するという仕組みの大切さを気づきました。
そこで、『甲子園』という目標を東南アジアの子供たちにも与えるべきだと考え、一年ほど悩んだ末、野球に興味を持ってもらうためにはこれぐらいのことをしないといけないと思い、決意しました。
・甲子園とは?
大武: 原動力であり夢でした。甲子園のために生きていたといっても過言ではないくらい球児にとっては大きなものです。
柴田: 聖地であり、どれだけの思いをかけて臨んできたか、集大成の場です。だからこそ物語があり、感動が生まれるのだと思います。
・今後の展望を教えてください。
柴田: この先も長期的に続く地域に根付いたプロジェクトにしたいです。日本の甲子園の雰囲気を再現し、東南アジアの人が現地で熱狂できる「聖地」を作ります。
人生をかけて日本の甲子園のすばらしさを伝えたいと思っています。また、そうすることで日本野球の発展にもつながってくれると信じています。
“感動は国境を超える”を合言葉に日本の甲子園を再現し、熱狂の文化を創出したいという思いから始まったアジア甲子園。
日本の甲子園が観る人すべてを魅了するように、アジアの子供たちにも同じようなゴールと感動を与えることを目指しています。
そんなアジア甲子園の開催に向けて、クラウドファンディングが開始しましたので、是非、ご支援よろしくお願いします。(以下クラウドファンディングのリンク)https://ubgoe.com/projects/831
アジア甲子園について
日本の高校野球の熱狂と感動をアジア全域に広める国際大会です。甲子園での汗と涙のドラマをアジアでも再現し、異文化交流と野球の普及を目指します。また、日本の野球市場拡大にも寄与し、アジア各国での野球人気を高めるための第一歩となり、この挑戦を通じて、明るい未来を築いていきます。
https://event.nbacademy.jp/asiakoshien
柴田章吾|元プロ野球選手・現起業家(シンガポール在住)
NO BORDER & NB.ACADEMY
1989年生まれ、三重県いなべ市出身。難病ベーチェット病初の元プロ野球選手、現起業家。日テレネタの124時間テレビ」や、「衝撃のアノ人に会ってみた」にて、難病を克服して甲子園に出場し、プロ野球選手となり、外資系コンサル・アクセンチュアへの異例の転身について取り上げられた。2024年で起業6年目。シンガポールに拠点を移し、コンサルティング案マッチングプラットフォームの運営やPR事業(イベント企画・キャスティング)をメインとした会社を経営している。
また、アジアを中心に野球振興活動を行い、2024年12月には「アジア甲子園大会 in インドネシア」を主催する。
略歴
愛工大名電高校:07年、難病「ベーチェット病」初の甲子園出場・登板(4回1安打無失点)
明治大学:08~11年、1年から145キロを投け登板、4年時には全国優勝を経験
読売巨人軍:12~14年、146キロの速球とスライダーを武器にチャレンジしたが、3年で戦力外通告
アクセンチュア:16年、プロ野球から外貸コンサルへの異例の転身。製造・流通本部のITコンサルタント
起業~フィリピン移住:19年、フィリピンに移住。スポーツビジネスをアジアへ。(ロックダウンで20年に緊急帰国)
コロンビア大学:22年、コロナ渦に学びの機会としてビジネススクール(VFAブログラム)を卒業
シンカボール移住:24年、活動幅をグローバルにするため、シンガポール法人を設立、拠点を移す。