『けれど輝く夜空のような』のシナリオを担当するにあたって
・2002年当時、それ散るをユーザーとして遊んでいてCGフルコンプもしている小町派でした。
と言う訳で、ここで改めて『けれど輝く夜空のような』(以下けれそら)がどういった作品かというお話をさせていただきます。
(もう知ってるよ、という歴戦あるいは情報通の方は適当に流し読みしてください)
それは今からさかのぼること約20年前の2002年。BasiLさんから発売された「それは舞い散る桜のように」(以下それ散る)というゲームがありました。
けれそらは、当初からそれ散るに続く第二章として製作を予定されていて、ファンブックなどで存在は示唆されておりました。それを見たユーザー(後述しますが僕含む)は「ある」ということを知っている作品だったのです。
そもそもそれ散るに夜空のメインキャラ達は登場しており「もう1本ゲームが作れそうなくらいにサブキャラがいる!?」という状況だったので、ゲーム発売後に「彼らはなんぞや」と思っていたところで「第二章があるよ」と情報が出たので、2002年の頃、僕らは心待ちにしていたのです。
ですが、その後に色々とあり(※あったらしい)「それ散る」を作った西又葵先生達はNavleというブランドを立ち上げ「SHUFFLE!」などのゲームを製作されました。
色々あったらしいので「それ散る」の続編である「けれそら」の発売は極めて難しいものだと思われていました。
僕はこの頃は本格的にゲーム製作には関わっておらず、普通にユーザー側でした。(既にライターにはなっていましたが、本業ではありませんでした)
ただ、その頃にちょっとした縁から業界の集まり(いわゆる飲み会)にさそっていただき、その会にあごバリア先生がいらっしゃっておりました。
その頃にはもう「SHUFFLE!」も発売しており、僕は駆け出しライターというよりいちユーザーとして先生とお話させていただいたおりに「けれそら出せることなら出したいんだよなあ」というお話を聞かせていただきました。
「色々」がなければ、けれそらはあごバリア先生が執筆なさっていたことと思われます。しかし悲しい話になってしまいますが先生は2016年にお亡くなりになってしまわれました。
僕の書く「けれそら」は先生が書きたいとおっしゃっていたものとは違うものになるのかもしれませんが、あの頃に出したいとおっしゃっていた言葉を聞いた者として、精一杯やらせていただきます!!
森崎亮人